Massimo=A=dolutofuski (マッシモ =ドルトフスキ) 略歴年譜


1898年(0歳)
ロシア系ユダヤ人の父モルフイユとモーシブ人の母メイシーとの間に
九月十四日、トロイス地方の小さな港町サン=ポヴァールに生まれる。(三人兄弟の末っ子)
スコット=フィッツジェラルドと誕生月日が同じである事を
後年まで知人に嬉しそうに話していたという記録が残っている。


1905年(7歳)
後に生物学者となる兄フージンのコレクションしていた蝶の標本箱に
興味を持ち、自らも蝶の標本箱を作りはじめる。
このころより母メイシーに自分の見た奇妙な夢の話を頗繁にするようになる.


1912年(14歳) 
輸入家具の販売をしていた父の会社が倒産し、新たな職を得るため一家はプレイスデンに移住。
初めて書いた詩『トイスのリズム』が地方新聞に掲載され、文筆業に強く憧れを抱くようになる。


1916年(18歳) 
月の石を拾う夢を頻繁に見るようになる。その夢にまつわる長篇小説
『月星』を執筆しはじめる。小説執筆のため学業に身が入らず卒業試験に落第。留年する。


1917年(19歳)
一番上の兄グローネンが第一次世界大戦で戦死。


1918年(20歳) 
父の反対を押し切りゴーデル美術大学に入学。
小説を出版社に送り続けるかたわら、オブジェ製作に没頭する。


1920年(22歳) 
父モルフイユが心臓発作により死去。享年56歳。サン=ポヴァールに一時帰郷。


1921年く23歳) 
中編小説『サン=ポヴァールの海景』がレイオッタ社の日にとまり、後2作品の出版契約を結ぶ。
マリア=ホーソンと出会い同棲を始める。


1923年く25歳) 
マリア=ホーソンとの関係が破綻。詩集『0の地点』出版。
兄フージンの紹介によりプリンストン大学に非常勤講師の職を得る。


1925年(27歳) 
パリに遊学の途中でヘミングウェイ、フイツツジェラルドと知り合う。
短編集『夜の境界線に』出版。


1927年(29歳) 
短編集『火にくるまれた子供』出版。


1930年(32歳) 
劇作家マレルネ=マーシャントと結婚。長篇小説『傀儡師』出版。パリに活動の拠点を移す。


1931年(33歳) 
長女ソフィアが生まれる。このころより世界の珍しい時計を収集しはじめる。


1933年(35歳) 
長篇小説『海と緑の草原の出会うところの泥炭地に』出版。


1940年(42歳) 
スコット=フィッツジェラルドの死に衝撃を受ける。戯曲『楽園』発表。


1945年(47歳) 
母メイシー死去。享年71歳。マレルネとの離婚が成立。


1946年(48歳) 
生まれ故郷のサン=ポヴァールに戻る。長篇小説『錆びゆくものたちの国で』出版。
一人創作活動に没頭する。


1947年(49歳) 
長篇小説『ゴロテア』を発表。世界中から高い評価を得る。


1951年(51歳) 
短編集『透明な庭先の隠れ家』出版。


1950年(52歳) 
客船「セイント・フリージア三世号」の海難事故により消息不明
イギリスのロード=J=E=プリンシュテイン伯爵のもとへ珍しい時計を
譲り受けるための旅の途中であった。


1951年 
ドルトフスキ没後に彼の書斎から長篇小説『月星』の貴重な原稿が発見される。
18歳の頃に書かれたものであり、生前未発表の作品でありながら
完成度の高い作品であったため家族の了解のもとに出版される。


1952年 
絶筆作品『ドリス・ウレイラ』および未発表短編三編を収録した作品集が出版される。